2016-05-05

美女の正体は未だミステリー、シーギリヤレディの謎

前回に続き、世界遺産シーギリヤ・ロックについてご紹介いたします。

カーシャパ王によってシーギリヤ・ロックの頂に王都が置かれた治世は、495年に終わりを告げました。その後、王になった弟モッガラーナにより首都はアヌラーダプラに戻され、王宮は仏教僧に寄進されました。それからは埋没してしまっていたシーギリヤ・ロック。
そんなシーギリヤ・ロックが発見されて、現在に至るきっかけになったのが「シーギリヤレディ」でした。

シーギリヤレディはシーギリヤ・ロックに描かれている美女の壁画です。
イギリス植民地時代の19世紀にイギリス人によって発見され、名付けられました。

シーギリヤレディの描かれている場所は、シーギリヤ・ロックを少し登った中腹あたりにあります。
絶壁にかけられた螺旋階段。かつては竹のハシゴがあったそうです。

螺旋階段を上るとシーギリヤレディが現れます。
美女たちは鮮やかな色彩で描かれているフレスコ画です。
(※2016年4月現在は写真撮影が禁止されております。)
かつては500人ほどの美女が描かれていましたが、現在残っているのはわずか18人です。
この美女たちが誰なのかは未だ解明されていません。
謎に包まれたシーギリヤレディ。

一つの説では、服を着ている女性が待女、上半身裸の女性が上流階級と言われています。

なんとも神秘的な表情です。

また、別の言い伝えでは女性たちはアプサラという天女ではないかと言われています。
装飾品も豪華です。

5世紀に描かれたとは思えないほどの美しさが残っています。
その美しさはスリランカを代表する美術品として、世界から注目されています。


岩肌が出てきてしまっています。

肌の色がやや濃い色の女性も見られます。

そして、近くに高さ3メートルの磨き上げられた漆喰の壁ミラーウォールがあります。
その名の通りミラーのように光沢、輝きがあります。かつてはミラーウォールの反対側にもシーギリヤレディが描かれていて、反射する仕組みになっていたそうです。

カーシャパ王が父に対する供養でこの美女たちの壁画を描かせたとも言われています。
父を殺してしまったことを深く悔いていたことが、ここでもわかります。
そんな狂気の王が残した壁画は皮肉にも人々を魅了し癒しています。
スリランカ美術の最高傑作を見に、シーギリヤ・ロックに登ってみませんか?

Text by Ayana Alles